高低差600mの女川・雄勝フォンドを走ってみた(2)

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 雄勝のエイド・ステーションを出ると、本大会最大の難所と言われる高低差100mの峠越えです。ここを登り切ってトンネルを越えたら後は下るのみ、北上川左岸を20km北上すれば石巻市街に至ります。コースを知っているといことは精神的にかなり楽な気がしました。
 この区間は規定上グループ走行を強いられるため、雄勝で出発調整が入ります。小生が先頭に立ち列車を牽引・・w。トンネルを抜け下り坂に入る手前で先輩を待つことに。雄勝を出たときは確かに小生の真後ろにいたのですが。。。やはり、前夜のアルコールが残っているようです。

北上川左岸を走る筆者
北上川左岸を走る筆者 (先輩撮影)

 約5分後、先輩が到着。一気に坂を下ります。自転車でも下りだと70km/hくらい出てしまうので、ここはオフィシャル・サポートカーが速度規制に介入、ブレーキングしながら平均45km程度に速度を落として下ります。
 北上川に出ると長い堤防ライドに移りますが、これが結構疲れます。勾配もなく、まったりと走るだけのように思えますが、海に抜ける陸風の通り道ですから、かなりのアゲインストで意外にも体力を消耗、座りっぱなしでお尻も痛くなります。

 途中、右足太もも裏に違和感を感じたため、サドル位置を若干下げたところお尻の痛みも和らぎました。小生を抜き去った初老の男性の走りっぷりに感化され、またもや先輩を無視して高速追従体制に。Y!自転車部の体格の良い男性の後ろに回り込んで、向かい風から身を守りながら北上川をクリア。先程の初老の男性をインターセプト、完全にバトル体制に突入です。最後くらいはスポーツしてみたくなりました。w

 ゴール手前2キロの地点でこの男性のスリップに入り込み、1キロ地点で抜きに出ました。流石に追ってはきません。ww

 石巻専修大学の裏手のアプローチからゴールを目指し、体力の限界までペダルを踏み込んでいたら、体格の良い男性に囲まれた女性ライダーに遭遇。「うぉ〜〜〜〜〜〜ケネディ大使だ!!」
 この小集団の後方に付け、小旗を振るギャラリーに見守られながらそのままゴール!。
 7時40分スタート、12時少し前にゴールしたので約4時間の走行でしたが、復帰第一戦としては、まぁまぁでしょう。脚力は十分残っていたので100kmは行けそうです。

 しかし、道端カレンさんの220kmは半端じゃないな〜〜〜。

やまびこ190号で東京へ戻る筆者(自撮りw)
やまびこ190号で東京へ戻る筆者(自撮りw)

 知り合いに挨拶して早々に会場から離脱。市内のスーパー銭湯で温泉に浸かり、軽く寿司を食べてから先輩の車で福島へ。先輩は福島市内のご実家に寄られるとのことで、ここから単独行動。自転車は先輩の車に残したまま新幹線で帰路につくことにしました。

 構想段階から関わってきたイベントで、コース設計時には下見にも同行しています。震災直後にM社長の声がけにより各方面の協力者を募ってスタート、今年は昨年の倍に相当する3000人弱が参加したとのことです。コースも延長され気仙沼まで拡大しました。
 10年継続をコミットしている大会です。昨年コースを回った時と比較して、周辺の復興・復旧に大きな進捗は見られませんでした。石巻市街の旧中心地は空き地が目立ちます。駅前から石巻港方向に続く商店街の裏手は、多くの飲食店で賑やかだったそうです。石巻グランドホテル付近に数件、営業中の店を確認できますが、津波で冠水した地域でもあり多くが内陸寄りの新興地への移転を余儀なくされたそうです。また、報道でも度々紹介された女川町も、津波で倒壊して横倒しになった鉄筋の建物は解体され整地されていました。しかし、この周辺は全ての商店が流され何も残っていません。学校や庁舎は高台に移設されているため、沿岸部はほぼ空き地です。この状況は昨年とあまり変わっていないようでした。雄勝も同様です。
 このイベントの主旨でもある、「震災を風化させない」為にも毎年参加することに意義があると感じました。来年も参加できるよう、小生自身も健康維持に努めたいと思いま〜〜す。

  

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