観艦巡り 

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 先週末は倅と長浦詣でへ出掛けました。DD-101「むらさめ、」DDG171、「はたかぜ」、DDG174「きりしま」他の勇姿を拝艦。船の甲板でぶるぶる震えながら、汐入桟橋〜第七艦隊ドッグ〜追浜沖〜自衛艦隊司令部(田浦)〜吾妻島水路〜長浦〜汐入桟橋のルートを通る「軍港ツアー」であります。ww

こんごう型二番鑑 「きりしま」
こんごう型二番鑑(イージス艦)DDG-174「きりしま」

 折しも「ロナルドレーガン」が修繕入港中、巨大な空母の船体を水上より拝むことができました。港の出口に近い所に修繕ドッグがありますが、米軍は簡単なカバーで覆うだけで「どこでも作業」してしまいます。海自は軽微な修繕であっても、造船所に入場させますが、カルチャーの違いですなぁ。因みに。ロナルドレーガンの横には艦名不詳の原潜が入っていました。ところで、何故か米軍横須賀基地エリアに海自の潜水艦が停泊しています。これは、第二潜水艦隊群司令部が米海軍横須賀基地内にあるためで、非常に珍しいケースです。ドイツや韓国にも米軍基地はありますが、自国の艦船が駐留米軍の基地内に停泊する様子が見られるのも横須賀ならではでしょう。

田浦湊に停泊中の海洋観測艦 AGS-5505「にちなん」
田浦港に停泊中の海洋観測艦 AGS-5505「にちなん」

 ボートは吾妻島の外側から追浜へ、日産追浜工場が見えてきました。ここはかつて追浜飛行場(帝国海軍追浜航空隊・旧横須賀飛行隊)のあった場所。ここは出撃用拠点ではなく、主に航空機開発・整備訓練・横須賀鎮守府の連絡用に用いられた飛行場で、ゼロ戦などの戦闘機や哨戒機は所属していませんでした。戦後、海軍解体後に民間に払い下げられ日産の工場となった場所です。そんな場所を横目に船は田浦港へと進みます。港の奥は自衛艦隊司令部・補給隊・自衛隊横須賀病院などが建ち並ぶエリアです。今日は掃海対群の船が何隻かソマリアから帰ってきているほか、大湊から来ている艦も確認できました。ここから船は左に舵を切って、吾妻島水路へ進入。目前に先程通過した「むらさめ」の艦影が見えてきました。DD-101「むらさめ」1986年の就航ですから、艦年齢30年の汎用護衛艦です。普通ならとっくにお役御免ですが、近年延命改修を実施したため、更に6〜7年は勇姿を拝むことができそうです。今日は残念ながら「いずも」は出動中です。

標的「横須賀ネイビー・バーガー」に撃ち〜方始め!!

前回はダブル・チーズだったので・・
前回はダブル・チーズ・・・

 ハイ、お目当てのTSUNAMIへ出撃であります。海軍と言えばカレーやハンバーガーが付きモノ。特にカレーは部隊(艦)ごとに自慢のレシピがあり、それぞれ味が異なります。最近はスーパーでも艦名を付したレトルト商品を見掛けるようになりました。ハンバーガーは佐世保が有名ですが、横須賀ネイビー・バーガーはちょっと違います。横須賀ネイビー・バーガーを扱う店は横須賀周辺に十数店舗ありますが、ベースのレシピは共通で、トッピングやソースに各店毎の拘りが見られます。1999年に旧4軍港会議が横須賀で開催された折に、佐世保バーガーのお店が会場内に開店し、佐世保勤務経験のある隊員等が大喜びしたことから、米海軍第七艦隊が横須賀市にレシピ提供を申し出たのが起源とのこと。何店か巡った中で、どぶ板通りのTSUNAMI CURRY & GRILLが気に入り、度々お邪魔しております。横須賀へお出かけの際には是非立ち寄ってみてください。

DOUBLE "R" BURGER
DOUBLE “R” BURGER

 ハンバーガーというと「手で掴んで食べる」イメージですが、こちらはナイフ・ホークを使って解体しながら食べるスタイルです。500g〜1000gのボリュームなので、”gonna share”しなければ片付きません。www 今回は横須賀に配備されたばかりの第七艦隊新鋭空母に敬意を表し、1000gのDoble “R”  BURGER (Ronald Reagan)にチャレンジ。巨大なビーフパティにモッツァレラチーズとベーコンをトッピングした豪快なハンバーガーです。なんと二歳半の倅が半分食べてしまいました。

 余談ですが、空母一隻に乗艦する隊員数は6,000名です。ちょっとした団地に匹敵しますね。入港時はそれなりの経済効果があるそうです。

4 Responses to "観艦巡り "
    • こんなのがあるんですね〜〜。流石に軍艦は表示されないか・・。昨夜、DDG-174「きりしま」が某国のミサイル発射の兆候をうけ、出航してゆきました。

  1. きりしまですか。。。。。実は、戦闘艦以外は、 表示されるんです。 たとえば 呉港のおおすみ(補給艦?) 非戦闘艦は 表示されるようです。 有償版は 潜水艦も出るようです。 停泊中。
    実は、祖父が呉海軍工廠で 戦艦陸奥の砲身を削った人物でして。。。。 なぜかノスタルジックなのです。はい。
     

    • >実は、祖父が呉海軍工廠で 戦艦陸奥の砲身を削った人物
      小生と共通点が・・w 実は、祖父は零戦のプロペラを作る工場を経営しておりました。
      お陰で徴兵免除となったそうです・・・。
      陸奥の砲身といえば40cm砲でしょうか? それは凄い!! 世界中の海軍から一目置かれた巨砲ですね。大艦巨砲主義優勢の世とはいえ、当時は自慢だったでしょう! (敬礼)

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