期限切れのフィルムを使ってみた【2022/10/11】

2006年に期限切れのフィルム

 おはようございます。ライフワークのラグビーもシーズン突入、12月前半まで土日は殆ど試合漬けです。「自転車に乗りて〜〜〜!!」

無線機修理進捗

 仕事の報告はTwitterとYouTubeへ完全移行しましたので、そちらを定点チェックしてください。ちなみに年内の予約ですが、現状埋まりつつあります。若干キャンセル枠もあるようですので、ご相談はお早めにどうぞ。

2006年に期限切れのフィルム

 2006年に使用期限の切れた白黒フィルムKODAK BW400CNが大量に防湿庫の奥から出てきました。完全デジイチ移行から20年が過ぎ、カメラ自体も動作状態の個体はSuper A 二台とMX二台のみです。MZ3やSFXn、Z-1Pもありますが、おそらく動きません。Super A 2号機にダメ元でBW400CNを装填してみました。レンズは銘玉と呼ばれたXR RIKENON 50mm F1.7 をチョイス。レンズ誕生から半世紀を経て、Kマウントの本家と分家が一緒になるなんて誰も想像できませんでしたよね。余談ですけどデジイチのK-3 Mk iiiにこのレンズを装着して楽しんでいます。本題の期限切れフィルムですが、ネットの体験談を漁ってみると、カラーネガなどは5〜6年は大丈夫っぽいです。リバーサルについては情報が殆どありません。白黒ネガも情報は少なめでしたが、カラーネガよりはもちが良さそうです。とはいえ期限切れ15年で、しかも常温保存です。果たして映るのでしょうか・・。このBW400CNはC-41プロセス、すなわちカラーネガと一緒なのでDPE店で現像できます。ISO=400ですが、念の為2段分減感、ISO=100に設定しました。オーバー気味になる分にはネガですから余り気にする必要はないです。宅内と近隣ショッピングモールで試し撮りしたものを、カメラのキタムラに持ち込んで現像してもらいました。その際にデータスキャンもお願いしました。ピーカン晴天化でPLフィルター付けて写してみないとコントラストの判定まではできませんが、まぁそこそこイケるんじゃないでしょうか。それより何より久しぶりの「一押し入魂」はシビれました!

 以下の写真はすべてAE、絞りは5.6で撮影しています。この様子だと、特に減感する必要はなかったかもしれません。本フィルムはC-41プロセス指定のためラボ送りされないよう、DPE店頭で念押ししました。スタッフはこのフィルムについて知識がなく少々戸惑っていましたが、パトローネに印字された”C-41″で納得していました。汗

宅内自然光 AE  f5.6 固定
施設内LED証明 AE  f5.6固定
ショッピングモール内 AE  f5.6固定
ショッピングモール内 AE f5.6固定
Super A 2号機を投入

 実はMレンズ、Kレンズ、Aレンズの多くは処分してしまい、単焦点は28mm、35mm、50mm、55mmしか残っていません。FAレンズも基本設計自体はMやKの流れを組んでいるので大差はないように思います。今回はいきなり変化球のリケノンを使いましたけど、まだBW400CNが大量にあるので使い切っちゃいましょう。他にもネオパンも何本かありました。フィルムならではの粒状性が何ともたまりまへん・・。 次回はMXにFA50mm f1.4 でチャレンジしてみます。

 そんなわけで久しぶりにフィルムカメラと戯れていますが、現在もカラーネガ、白黒、リバーサルフィルムは生産を継続していることを知りました。現行135フィルムの市場価格がべらぼうで常用する気にはなりませんが、絶景を撮影するなら135サイズのリバーサルという選択もありかと思います。120サイズは未だ現役で使用されるプロも多いようで意外にリーズナブルです。645もありかな・・・。オークションで数万円で取引されてますよ。

 

作成者: JG1BVX

・放送メディア・コンサルタント ・ソーシャルメディア・コンサルタント ・通信インフラコンサルタント ・ITC人材斡旋エキスパート ・個人投資家  社会人のスタートは大手航空会社の運航乗務員。当時自社養成パイロットの道は閉ざされていて、近い将来これが再開することを期待して航空機関士(FE枠)で入社しました。ラインチェックアウト後に航空機関士職種が廃止されることが決定、パイロットへの移行を考えましたが地上職(総合職)転換への道を選択、マーケティング・アナリストとしての教育コースに乗りました。  その後、外務省外郭団体(国際催事運営)を経て、ITメディアの大手企業に転職、現在副都知事を務める”爆速上司”(後に社長・会長を歴任した宮坂学氏)の元、日本最大のニュースサイトのプロデューサーとなりました。就任時直後に"福知山線脱線事故"、"中越地震"の報道などで四半期売上をたった1日で達成する機会に遭遇しましたが、世間から「人の不幸を生業とする商売」と揶揄されたことが後の進路に大きな影響を与えました。この時期、誤報道を巡り複数の係争の矢面にたったのですが、この会社には編集権が無く、配信されるニュース・ソースを強大なサーバーリソースから配信しているだけで、誤報道を直ちに配信停止できないなど「システム上の課題解決」に翻弄させらた数年を過ごしました。  当時ニュース素材を購入していた民放キー局から誘いを受け転職を決意し、サラリーマンとしてのラストランを走り始めました。IT時代のM&A体験が評価され、経営企画局の投融資担当を銘ぜられます。会社が保有していた球団の売却、出資先のIT企業、芸能プロダクション、アニメ制作会社などの役員を兼任しながら、ITとメディアの狭間で浮き沈みする日々を送りましたが、ある投融資案件が座礁し、その責任を取る形で退職することになりました。まぁ、この会社に未来を感じなかったというのが正直なところです。  局では、技術系退職者の受け皿となっていた派遣会社の整理が最後のミッションになり、この会社を複数名のOBと共に存続させるべく、退職金を注ぎ込んで株式を取得、10年後にアマチュア無線の修理をやる会社になっていると想像できませんでした。 【資格】  第二級総合無線通信士・航空無線通信士・第二級アマチュア無線技士  宅地建物取引士  職業紹介人講習課程修了  航空従事者(事業用操縦士・航空機関士) 【経歴】  慶應義塾中等部 卒 1978  慶應義塾高等学校 卒 1981  慶應義塾大学法学部政治学科 卒 1985  慶應義塾大学理工学部機械工学科  卒 1987  日本航空株式会社(運航乗員→地上職)1987 - 1998    運航本部運航乗員部    運航本部運航統制室    国際旅客マーケティング部    日本アジア航空(出向)    Rensselaer Polytechnic Institute Engineering (社留)    団体出向(退職-1998)  社団法人 国際文化協会(前職から出向→転籍)    ミス・インターナショナル/ ミス・ワールド世界大会 事務局長 1998 - 2002  ヤフー株式会社 コミュニティー事業部 Yahoo! フォト プロデューサー (2002 - 2002)   メディア事業部 Yahoo! ニュース プロデューサー( 2002 - 2006)  株式会社東京放送ホールディングス (2006 - 2012)   経営企画室 投融資担当   出資先 芸能プロダクション (株)スイートパワー 監査役 (2006 - 2007)   出資先 アニメ制作会社 (株)デビットプロダクション 監査役(2006 - 2007)   出資先 株式会社インデックス 社外取締役 (2006 - 2007)   子会社 (株)TBSディグネット 取締役 (2008 - 2011)    ・日本アマチュア無線振興協会担当プロデューサー(JARD 創立記念 イベント担当)    ・みんなのメイク担当プロデューサー    ・あやとりブログ担当プロデューサー  出資先 TBHD株式会社 取締役就任(2009)  TBHD株式会社 代表取締役就任(2011 - )   ※ 東京放送ホールディングスより株式譲渡、オーナー社長となる。      (株)TBSディグネット 嘱託プロデューサー (2011 - 2018)  Zコーポレーション株式会社 アドバイザー (2018 - )  

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