武相荘へ 【2022/07/20】

 あれ? 梅雨明けしたんじゃなかった?? またジメジメしてるんだけど、どうなっているのでしょう。

無線機修理進捗

 週末は降ったり止んだりのハッキリしないお天気でした。そのまんま週明けを迎えた南関東です。九州は大変なことになっているみたいです。そんな中「関ハム」が行われたようですネ。アイコムはSHF無線機のプロトタイプを出品したみたいです。2.4GHz搭載機は以前にもありましたが、1,2GHz~5.6GHzまで対応のリグは初めて?。プロトタイプはIC-705の筐体そのまま使っていましたが、製品版も同じ路線になりそうです。144MHz/430MHzも搭載されるという噂がありますが、プロトタイプのように制御部と本体が分離するかは不明です。何れにしても新境地を切り開くチャレンジは大歓迎です。一方ヤエスもハムフェアでFT-710なるSDR HF機を発表予定。こちらは既にティザーが出回っているので、大まかな内容は把握していますが、FTDX10との棲み分けがイマイチ理解出来ません。例によって完全なダイレクトコンバージョンでは無くHybrid SDRになると思われますが、EUの販売店が掲示している予価から想像するに、15万円〜18万円くらいに収まる可能性が高く、ますますFTDX10との差別化が不透明です。まさか、FTDX10をディスコンさせてるなんてことはないと思うのですが、、、。FTDX3000とFTDX1200の関係に酷似しているのか、相変わらずの迷走ぶりです。兎にも角にも、FTDX5000、FTDX3000を現役引退させる予定など皆無、ましてや移動用はIC-705、X6100、KX3、FT-857DM、FT-817NDの5台が椅子取りゲームを展開中であり、全く触手が動きません。

戻り梅雨の「武相荘」巡り

 戻り梅雨なのか何のかハッキリしないお天気だったので、遠出する気にもなりません。テレビで白洲次郎さんのことを誰かが喋っていて、「そうだ、久しぶりに武相荘でお茶しよう!!」と思ったのが吉日、自宅からクルマで15分〜20分の白洲次郎邸「武相荘」を目指しました。北康利さんの「占領を背負った男」で有名な白洲次郎さんが1943年から晩年まで住まわれた茅葺き屋根の古民家を2001年に記念館として改装された施設です。彼はこの地でカントリージェントルマンを気取り、事あれば参ずるとして、普段は畑仕事に精を出したそうです。今では周囲はすっかり宅地化されていますが、昭和18年当時はただの里山だったそうです。因みに武相荘は、白洲次郎自身が命名、えらく悦にいって居たそうです。当屋敷に掛かる武相荘の表札は、時の司法大臣である風見章が書いたそうです。武蔵国と相模国の境界付近に在ること、白洲次郎・正子夫妻の性格から無愛想=武相荘 となったとか。(笑)古いガレージにはペイジ・グレンブルックが鎮座していて、今にも走り出しそうな雰囲気です。邸内を散策したあとはカフェで珈琲とケーキを頂いて帰りました。帰宅後、久しぶりに「NHKスペシャルドラマ 白洲次郎」を観ました。生き方も趣味も、小生がもっとも憧れた一人です。 今宵はカントリージェントルマンに乾杯!

 旧白州邸「武相荘」

作成者: JG1BVX

・放送メディア・コンサルタント ・ソーシャルメディア・コンサルタント ・通信インフラコンサルタント ・ITC人材斡旋エキスパート ・個人投資家  社会人のスタートは大手航空会社の運航乗務員。当時自社養成パイロットの道は閉ざされていて、近い将来これが再開することを期待して航空機関士(FE枠)で入社しました。ラインチェックアウト後に航空機関士職種が廃止されることが決定、パイロットへの移行を考えましたが地上職(総合職)転換への道を選択、マーケティング・アナリストとしての教育コースに乗りました。  その後、外務省外郭団体(国際催事運営)を経て、ITメディアの大手企業に転職、現在副都知事を務める”爆速上司”(後に社長・会長を歴任した宮坂学氏)の元、日本最大のニュースサイトのプロデューサーとなりました。就任時直後に"福知山線脱線事故"、"中越地震"の報道などで四半期売上をたった1日で達成する機会に遭遇しましたが、世間から「人の不幸を生業とする商売」と揶揄されたことが後の進路に大きな影響を与えました。この時期、誤報道を巡り複数の係争の矢面にたったのですが、この会社には編集権が無く、配信されるニュース・ソースを強大なサーバーリソースから配信しているだけで、誤報道を直ちに配信停止できないなど「システム上の課題解決」に翻弄させらた数年を過ごしました。  当時ニュース素材を購入していた民放キー局から誘いを受け転職を決意し、サラリーマンとしてのラストランを走り始めました。IT時代のM&A体験が評価され、経営企画局の投融資担当を銘ぜられます。会社が保有していた球団の売却、出資先のIT企業、芸能プロダクション、アニメ制作会社などの役員を兼任しながら、ITとメディアの狭間で浮き沈みする日々を送りましたが、ある投融資案件が座礁し、その責任を取る形で退職することになりました。まぁ、この会社に未来を感じなかったというのが正直なところです。  局では、技術系退職者の受け皿となっていた派遣会社の整理が最後のミッションになり、この会社を複数名のOBと共に存続させるべく、退職金を注ぎ込んで株式を取得、10年後にアマチュア無線の修理をやる会社になっていると想像できませんでした。 【資格】  第二級総合無線通信士・航空無線通信士・第二級アマチュア無線技士  宅地建物取引士  職業紹介人講習課程修了  航空従事者(事業用操縦士・航空機関士) 【経歴】  慶應義塾中等部 卒 1978  慶應義塾高等学校 卒 1981  慶應義塾大学法学部政治学科 卒 1985  慶應義塾大学理工学部機械工学科  卒 1987  日本航空株式会社(運航乗員→地上職)1987 - 1998    運航本部運航乗員部    運航本部運航統制室    国際旅客マーケティング部    日本アジア航空(出向)    Rensselaer Polytechnic Institute Engineering (社留)    団体出向(退職-1998)  社団法人 国際文化協会(前職から出向→転籍)    ミス・インターナショナル/ ミス・ワールド世界大会 事務局長 1998 - 2002  ヤフー株式会社 コミュニティー事業部 Yahoo! フォト プロデューサー (2002 - 2002)   メディア事業部 Yahoo! ニュース プロデューサー( 2002 - 2006)  株式会社東京放送ホールディングス (2006 - 2012)   経営企画室 投融資担当   出資先 芸能プロダクション (株)スイートパワー 監査役 (2006 - 2007)   出資先 アニメ制作会社 (株)デビットプロダクション 監査役(2006 - 2007)   出資先 株式会社インデックス 社外取締役 (2006 - 2007)   子会社 (株)TBSディグネット 取締役 (2008 - 2011)    ・日本アマチュア無線振興協会担当プロデューサー(JARD 創立記念 イベント担当)    ・みんなのメイク担当プロデューサー    ・あやとりブログ担当プロデューサー  出資先 TBHD株式会社 取締役就任(2009)  TBHD株式会社 代表取締役就任(2011 - )   ※ 東京放送ホールディングスより株式譲渡、オーナー社長となる。      (株)TBSディグネット 嘱託プロデューサー (2011 - 2018)  Zコーポレーション株式会社 アドバイザー (2018 - )  

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